キーワード:母子健康改善/ベトナム/JICA
もともと「食」に関わる分野で社会の役に立ちたいという思いから、アサヒグループ食品の前身の1社、和光堂に技術職として入社した石井克明さん。石井さんは、乳幼児や妊産婦向け商品の開発やマーケティングに長く携わってきました。また、その成り立ちから科学的な知見やエビデンスを大切にする和光堂で「学術担当」も兼務。小児科や小児歯科、栄養の専門家の方々とのネットワークをつくり、新たな商品の開発や普及に取り組んできました。このような経歴を活かして2022年に立ち上げた「ベトナム母子健康プロジェクト」について、現在の進捗や今後の展望を伺いました。
Person
アサヒグループ食品株式会社 企画本部 輸出企画室 コンシューマ事業本部 販売推進部 学術担当(兼務)
石井 克明
1996年、和光堂株式会社(当時)に入社。ベビーフードの開発やマーケティングを担当するほか、「和光堂赤ちゃん品質基準」の策定に従事。また、乳幼児用経口補水液「アクアライトORS」を専門家と開発し、特別用途食品の許可を取得。海外企業との業務提携や、海外でのマーケティング、事業開発などを経験したあと、専門家との窓口となる学術担当も兼務。2022年からはベトナム母子保健改善プロジェクトのリーダーを務める。
ベトナムで社会課題解決につながる事業にチャレンジしたい
――現在担当されているベトナムでのプロジェクトは、どのような想いで始まったのでしょうか。
入社後の経緯を振り返ると中心にあるのはマーケティングですが、技術職としての多様な経験を買われて、海外企業との提携や海外での新事業展開も推進してきました。米国最大手のベビーフードメーカーであるGerberとの業務提携に担当の1人として関わったほか、韓国や中国、インドネシアなどアジア地域への販路拡大も進めてきました。
当社は「社会課題解決への貢献を通して、事業の拡大を図る」という長期的な成長戦略を掲げており、その対象となる国・地域は海外にも広がっています。この戦略が策定された時、社長から「当社の強みを活かした具体的な施策を提案してほしい」と話があり、海外ワーキングチームのリーダーに任命されました。
そこで提案したのが、アジア展開に携わっていた頃からあたためてきたベトナムでの母子保健改善プロジェクトです。ベトナムは親日国で、米を中心とした食文化の共通点も多い。日本の育児に対する考え方への関心も高く、実は離乳食について書かれた日本の本がベストセラーになったこともあるのですが、母親や他の養育者の離乳食に関する正しい知識が不足しており、農村部での低栄養や、一方でとくに都市部では生活習慣病や肥満になる子どもが増えている現状があります。「ベトナムで社会課題解決につながる事業にチャレンジしたい」と提案したところ、社長から「意義のある取り組みであり、会社として全面的にバックアップする。このチャンスをぜひ活かしてほしい」と言葉をかけられました。この言葉はまさに、私の心に“火”をつけましたね。
産官学の協力体制を構築し、日本のガイドをベースに現地の養育者が実践できる離乳食ガイドを作成
――では、どのようなステップでプロジェクトを進めてきたのでしょうか。
まず、社内外の協力体制を構築するところからプロジェクトをスタートしました。新設された長期戦略推進室という部署の支援を得るように動きました。また、将来的に現地生産や現地でのみ販売する商品の開発も見据えて、開発や生産、品質管理、法規など、さまざまな部門のサポートも受け、全社横断的なプロジェクトを立ち上げました。
社外とは、2023年2月にJICAの開発途上国の課題解決やSDGs達成に貢献する民間企業の支援を目的とした「ビジネス化実証事業」に応募して採択され、8月から連携しています。JICAの事業に採択されたことはこのプロジェクトにとって大きく、途上国での事業開発に知見を持つコンサルタントの支援を得ることができましたし、BtoGtoG(Business to Government to Government)のスキームで事業に取り組む体制をつくることができました。
――プロジェクトにおいてポイントとしていることはありますか。
先にベトナムの都市部では生活習慣病や肥満など過栄養に起因する課題が顕在化しているとお話ししましたが、この背景には、一般家庭では過栄養に対する問題意識が低く、適切な食事の摂取が行われていないことが挙げられます。こうした状況を改善するためには、養育者に対して「子どもに何をどれだけ食べさせるか」だけでなく、「どのように調理して、どうやって食べさせるか」といった情報の提供や啓発が重要になると考えています。
ベトナムにおける5歳未満児の過体重比率
このため、プロジェクトの推進にあたっては、ベトナムのニーズに即した商品の提供や開発ととともに、日本の「授乳・離乳の支援ガイド」をベースに、現地の養育者が実践できる離乳食ガイドの作成に取り組んでいます。
――日本のガイドは、ベトナムの方々にも受け入れられるものでしょうか。
ベトナムの専門家の方々に説明したところ、「このガイドはベトナムにとって革命だ」と大いに賛同してくれました。日本のガイドは、摂食機能の発達や自立、食習慣の形成、さらには子育て支援の視点も重視してつくられていることが特長です。当社のベビーフードも、このガイドラインに沿って、成長段階に合わせて具材の固さや大きさを調整しています。
ベトナムのベビーフードは、粉末のドロドロ状のものが主流であり、成長段階に合わせて具材の大きさ・固さを変えたものはありません。
ベトナムにも種々のガイドはありますが、養育者が見てもわかりにくく、専門家の方々も「実践できるガイドが必要」と問題意識を持っていました。
日本の「授乳・離乳の支援ガイド」の特長
離乳食ガイドの普及・浸透とともに、商品価値の訴求と新たな商品の開発に注力
――日本のガイドをベースにすることに対して賛同が得られたことは成果ですね。
そうですね。ただ、その専門家からは「多くの先生方にすぐに受け入れられるかはわからない。いろいろな人をもっと巻き込んでいかないといけない」と指摘をいただきました。ですから、その後、小児科や栄養学に関する学会、小児病院などを紹介してもらい、養育者向けガイドの必要性を積極的に伝えてきました。
また、現地での働き掛けだけでなく、ベトナムの専門家の方々を日本の病院や保育園、子育て支援センターに招待し、それぞれの施設でガイドがどのように活用されているかを見ていただきました。乳幼児期における日本の取り組みを知った先生方は「これは良い!」と納得され、2023年9月にベトナム・ハノイで開催された「The First 1,000days(※)の母子保健に関する日越合同シンポジウム」で、同国小児科学会の会長から「日本と一緒にベトナムのガイドをつくろう」という宣言が発表されました。
※WHOでは、妊娠してから出産までの約270日と、子どもが生まれてから、2歳になるまでの730日を合わせた1,000日間の栄養摂取が将来の健康に大きく影響する重要な期間と定義
――ガイド作成に向けた現在の進捗と今後の展望についてお聞かせください。
ベトナムのガイドとして正式に認められるまで、まだハードルは多くありますが、2025年を目標として進めています。当然のことながら、ガイドは実際に活用・実践していただけることこそが重要です。その意味で、今後はどのように普及・浸透を図っていくかが大きなテーマであり、関係者の方々の意見を聞きながらそのための方策も検討しています。
――商品展開などの面で構想されていることはありますか。
大きく2つのことを検討しています。1つは、商品の価値をしっかり訴求していくことです。現地のベビーフードは当社の商品と比べると安価なのですが、現地で調査をしてみると、使っていても週1回くらいという家庭も多いようです。「忙しい時に使うもの」「手づくりできない時に仕方なく使うもの」であって、日常的に使うものではないと認識されているところがあるようです。こうしたことを考えると、栄養や品質はもちろん、食べやすさも追求した私たちの商品の価値を伝える機会をもっと増やしていかなければなりません。
ただし、価格面で競争力を持つことも大切ですから、今後、現地で生産体制を構築することも検討しています。
もう1つは商品の味です。赤ちゃんの味覚はまだ発達していないため、例えば「鳥雑炊」などはそのまま現地でも受け入れられるのではないかと思います。ですが、やはりそれぞれの国や地域の食文化を考慮すると、より現地に合った商品の開発も必要だと考えています。
パーパスの共有こそがプロジェクト成功の鍵
日越で協働し、自社の成長もめざす
――ここまでのプロジェクトを振り返り、どんなところにやりがいを感じていますか。
当初、社内の協力を得るところから始まったプロジェクトは、現地の専門家や行政の方々にガイドの必要性を説明する過程で、より大きな協力の輪ができました。これは「ベトナムの母子の健康を改善する」というパーパスを共有できたからこそだと思います。現地の先生方からも「こういうことをやりたかったけれど、自分しかいなかった。仲間ができたことがすごく嬉しい!」と言っていただき、本当にありがたいことだと感じています。
また、さまざまな方や団体とともにプロジェクトに取り組むことで、知識やノウハウを結集でき、コストを抑えながら効率的に進められたことは新たな気付きになりました。
――ほかに石井さんの気付きや意識の変化などがあればお聞かせください。
社会のサステナビリティに貢献することは、未来を予測し、将来にわたって企業が成長し続けていくためのチャンスと捉えるべきだと思います。ただ、取り組みを継続するためには、社会価値の創出だけでなく、自社の収益を高めていかなくてはなりません。
今、改めて思うのは、日本のガイドには子育てに対する“やさしさ”があること。プロジェクトにおいても、日本の考え方、やり方を押し付けるのではなく、現地の文化や事情・状況を理解し、現地の方々が良いと思うものを積極的に取り入れていく。今後も、日本の良さと現地の文化を織り交ぜながらプロジェクトを進めて、当社の成長やプレゼンスの拡大につなげていきたいと考えています。
取材後記
「プロジェクトに参加させてくれて、ありがとう」—―このプロジェクトに携わった方から頂いた言葉とのことで、伺ったお話の中で最も印象に残っています。
直接お話をさせていただき、石井様が発する言葉には熱い想いが宿っていて、人を巻き込む力を感じました。ベトナムで「子どもの育児問題を解決したい」と一人悩んでいた専門家などの方々をプロジェクトに巻き込まれた話も、納得がいきました。
私も取材をさせていただいた日から、ファンの一人です。ガイドラインが正式に公認されたと、一日も早くニュースを聞けることを楽しみにしています。また、ベトナムに訪問した際には、現地のスーパーに「とり雑炊」が販売されていないか、要チェックです!
(ブレーンセンター MS)
アサヒグループホールディングス傘下、日本事業を統括するアサヒグループジャパンのグループ会社。2016年にフリーズドライ食品を扱う天野実業、粉ミルクやベビーフードを扱う和光堂、健康食品などを扱うアサヒフードアンドヘルスケアを統合。乳幼児から高齢者まで、幅広い世代に「心とからだの健やかさ」をトータルに提案できる強みを活かし、食にかかわる社会課題解決を通じた企業成長をめざしている。