キーワード:JICA留学生/教育支援/イラク共和国
学校に通えていない6歳~17歳の子どもは、世界で2億5,100万人(16.1%)いる※——というデータもあるように、世界には、さまざまな事情で必要な教育を受けることができない子どもたちがたくさんいます。イラク共和国でも30年にも及ぶ戦争の影響で、教育環境は大きな打撃を受けています。そうしたなか、現地で製油所近代化プロジェクトを担っている日揮グループは、地域貢献活動の一環として、子どもたちが学び続けられる環境を確立するためのプロジェクト「JGC Code Education」を展開しています。このプロジェクトを委任されているのは、モバイル教育システムを持つ日本のIT企業、キャスタリア株式会社です。日本とイラク、プロジェクト運営陣と教育現場、さまざまな立場の関係者をつなぎ、プロジェクトの架け橋として中核を担うキャスタリアのMohannadさんにお話を伺いました。(※出典 Global education monitoring report, 2024/5(UNESCO))
Person
キャスタリア株式会社 海外プロジェクトマネージャー
Mohannad AL Yakoub
内戦の影響を受け、2012年にシリアからヨルダンに移住。2017年、JICAの人材育成プログラム「JISR(シリア平和への架け橋・人材育成プログラム)」を通じて国際大学国際経営学研究科(GSIM)に入学。2年間のMBAプログラムを修了し、2021年9月、キャスタリア株式会社に就職。
教育を必要とするイラクの子どもたちに、モバイル学習を提供
―――イラクでのIT教育「JGC Code Education」とはどのようなプロジェクトか、概要を教えてください。
私の勤務先であるキャスタリアは、子どもや大人向けのデジタル学習ソリューションの提供を専門とするIT企業です。例えば、スマホやタブレットなどの端末があれば利用できるモバイルラーニングのプラットフォーム「Goocus(グーカス)」を自社開発し、さまざまなクライアントやプロジェクトに合わせてカスタマイズして提供しています。このプラットフォームでは、インターネットに接続していなくても複数人が同時に使用できるGoocus Offlineなどの各種サービスを組み合わせることで、幅広い学習スタイルをサポートしています。インターネットが不安定なエリアでも活用できることに加え、アラビア語を含む多言語にも対応しているため、イラクをはじめ、エチオピア、タンザニア、バングラデシュといった国々でも使用されています。
「JGC Code Education」では、このGoocusを活用してイラクのバスラ州の子どもたちにプログラミングなどの教育をしています。イラクは世界有数の産油国ですが、戦争によって製油所の生産能力が低下しているため、石油製品を他国から輸入せざるを得ない状況にあります。そこで、子どもたちの科学や技術への関心を高め、将来のエネルギー産業を支える人材を育成することを目的に、デジタル時代には欠かせないプログラミングやコーディングの重要性や実践方法を学べる機会をつくりました。
第一期プロジェクトは2022年にスタートし、2年間で200校、累計約18,000人の生徒を対象にプログラミング教育を実施しました。想定以上に大きな成功を収められたので、第二期の活動として2024年から2026年にかけて約30校にデジタル数学コースを提供することが決まり、2024年11月に活動を開始したところです。
―――第二期の活動内容と、プロジェクトの最終的な目標を教えてください。
デジタル数学コースでは、足し算、引き算、掛け算など、6,500以上の学習内容を準備しており、生徒それぞれのレベルに合わせた学習内容が選択できるようになっています。また、数学の先生や校長先生と打ち合わせをして、その学校の生徒の苦手分野や学習レベルを確認して必要な学習コンテンツを決定します。それをベースに、5~6回のセッション(合計約6時間)を開催する想定で学習計画を立てています。生徒全員がデジタル教育を受けられるように、各セッションではキャスタリアがレンタルタブレットを提供しています。
生徒たちは、ゲームやYouTubeで慣れ親しんでいるスマホやタブレットで数学を学べるということに喜んでいます。先生たちの言葉を借りれば、数学が苦手な生徒たちも「やる気のきっかけ」を得られたようで、「できる!勉強したい!」という気持ちになってきているようです。各学習コンテンツは、最初にアラビア語の説明ビデオを見て2つの例題を学び、その後たくさんの練習問題に取り組むというプログラムです。このプロジェクトの最終的な目標は、現地の教師向けにも研修して、プロジェクトが終了した後も子どもたちが学び続けられるようにすることです。
現地での授業の様子
一つひとつ丁寧に異文化間のギャップを埋め、相互理解を図る
―――Mohannadさんはどのような役割を担っているのですか。
キャスタリアは小さな会社なので、アラビア語と英語、そして日本語が話せるのは私だけです。そのため、プロジェクトマネージャーとして、このプロジェクトの開始当初から携わり、計画から終了まですべてのフェーズの責任を担っています。もちろん一人で全てをやるわけではなく、例えば、サーバーのコード開発は当社の技術チームが担当しています。簡単にいうと、同僚がコードを開発し、私がプロジェクト管理とコンテンツ作成を担当し、当社代表が全体のプロセスを監督している…といった体制です。
―――プロジェクトを進める中で特に難しかったことや乗り越えるのが大変なことはありましたか。
多くの困難がありました。まず、イラクの国内情勢による課題です。イラクでは、約30年に及ぶ戦争は終わりましたが、まだまだ不安定な状況が続いています。交通網が整備されていなかったり、テロの懸念があったり、さらに何らかの理由で平日が突然祝日になる、なんてこともあります。また、国全体のインフラが非常に悪く、子どもたちが使用するには適さないような状態の学校や、電力がなくプロジェクターなどが使えない学校もありました。そのため、活動開始前に学校の状況を調査してデータを収集し、スムーズかつ安全に活動を進められるよう準備することも重要な工程の一つでした。
さらに、文化の違いも大きな課題でした。スポンサー企業である日揮グループ、プロジェクトを主導する私たちキャスタリア、イラクでプロジェクトをサポートする現地スタッフ、そしてイラクの学校の先生たちなど、それぞれ異なる文化を持つ関係者が多くかかわっています。その橋渡し役である私の最大のミッションは、全関係者にプロジェクトの目的を理解してもらうことでした。資料を読むだけでは理解できず、当初はこの活動を受け入れない人もいました。そのなかで、関係者がお互いを理解し合い、プロジェクトの目的達成に向けて足並みを揃えられるようにすることが私の役割でした。
文化が違うので、仕事の慣習なども異なります。例えば、深夜に突然、翌日が祝日になると発表された時は、イラクの現地スタッフと連携して全関係者に事前に連絡し、翌日以降の活動を停止するなどの対応を取っています。日本では当たり前ですが、こうした連携が取れるようになるために、事前報告の重要性などを現地スタッフに説明し、理解してもらうというところからのスタートでした。
このような文化や働き方の違いによるハードルを下げるため、本格的な活動を始める前に、現地のスタッフを対象に6週間ほどの研修期間を設け、「日本の経営スタイルや私がMBAで学んだことを無料で共有します」と提案したのです。例えば、ポカヨケ、トヨタ生産方式、報連相など、日本の昔ながらの経営手法などをアラビア語で教えました。すると、「なぜ日本人はこれを使うのか」と興味を持ち、「新しいことを学べた」と彼らのモチベーションも上がっていき、少しずつ日本文化とのつながりを持つようになりました。最初こそかなり大きく感じたハードルも、一つひとつ丁寧に解決と適応を繰り返すことで少しずつ歩み寄ることができるようになりました。
また、第二期の数学プロジェクトを「1~2週間だけで終わり」というプログラムにはしたくありませんでした。そこで、日揮グループの担当チームとイラク教育庁を交えて粘り強く交渉した結果、プロジェクト終了後も生徒一人ひとりに1年間無料でプラットフォームのユーザーアカウントを提供できることになりました。さらに、本人だけではなく、兄弟姉妹も同じアカウントでプログラムを利用することができるようになり、1年間継続できる仕組みを整えました。
子どもたちの笑顔がすべての原動力
―――多様な立場の関係者の間に立つのはかなりの忍耐が必要だと思います。何が原動力となっているのでしょうか。
支援を必要としている貧しい子どもたちのために何かをできることが、ただただ嬉しいのです。「日本からお客さんが来て教えてくれた」「数学ができるようになった」「ロボットでこんなことができた」という彼らの反応、イラクの子どもたちの喜びや幸せに満ちた顔を見ることが、私にとって最も強力なモチベーションになっています。
また、私はJICAの奨学金プログラムを通じて日本に留学したのですが、このプログラムはアラビア語で「架け橋」を意味する「JISR(ジスル)」と呼ばれています。現在の私の仕事は、まさに日本と中東をつなぐ役割を担っています。この仕事を通じて、本当の意味での❝架け橋❞になれていると実感することができて大きな喜びを感じています。私の第二の故郷である日本の事業に貢献しながら、イラクやアフリカ、タンザニア、エチオピアでのビジネスを支援できるのは本当に素晴らしいことです。
イラクでは、多くの人がお金や石油、テロについて話しますが、教育について話す人はあまりいません。だからこそ、私たち日本企業が教育の重要性を啓発し、未来への投資としてのイラクの子どもたちの教育を支援しているのです。さらに、こうした活動を通じてイラクの人たちが日本に良い印象を持つきっかけにもなっています。そこに貢献できていることも、やりがいの一つです。
加えて、私は国際大学(IUJ)の国際経営大学院(GSIM)の卒業生として、大学の理念も大切にしています。私たちの大学は、利益を求めるだけのリーダーではなく、多文化共生やインクルーシブネス、社会的責任を担うリーダーを育成することを目指しています。現在の仕事やプロジェクトを通じて、JIACプログラムやIUJの価値観とミッションも体現することができています。そのこと自体、本当に幸せだと感じますが、時々近況報告をするIUJの教授が私のことを誇らしく思ってくれていることも、私の喜びとモチベーションになっています。
―――これからやりたいことや、挑戦したいことはありますか。
私は、この仕事が大好きで、お金やキャリアの追求ではなく、将来的に真の架け橋になりたいと考えています。まだまだ日本企業は海外の文化や言語の壁にとても苦労をしていると感じています。このプロジェクトを通じて、自分がそれをつなぐ役割として大きく貢献できることを実感しました。これからも同じような役割で日本企業の海外でのビジネスをサポートしていきたいです。
教育は持続可能な社会の基盤
―――持続可能な社会を実現するために最も重要なことは何だと考えていますか。
SDGsの4「教育」と17「パートナーシップ」が持続可能な社会の実現に重要だと考えています。
日本は国民の教育水準が非常に高いですが、他の発展途上国では教育環境が整わず、遅れている国も多いです。さらにそれらの国の多くは、政治、経済、社会システムなど、多くの複雑な課題を抱えているため、民間、行政、NGOのパートナーシップがなければ、いかなる取り組みも進めることは困難です。成功には多くの要素が必要です。私たちが現在取り組んでいるパートナーシップによる教育支援は、持続可能な社会を実現するために必要な方向性に沿ったものだと考えています。
―――今後、異文化環境での仕事が増えていくと考えられる日本企業に必要なことは何だと思いますか。
日本企業は、特に海外派遣するスタッフに対して、研修セッションを必ず実施すべきだというのが私の考えで、できることなら、日本政府がそのようなプログラムを支援すべきだと思います。今後さらにデジタル化やグローバル化が進み、今まで以上に異文化に触れる機会が増えていきます。その時、相手の文化や慣習を理解し、尊重できなければ、文化の壁を越えてお互いに歩み寄ることはできません。日本の企業文化や慣習が当たり前ではないということを踏まえ、相手の文化を理解するところからは始めなければいけないということを教育する必要があると思います。特に大企業の正社員向けには、異文化コミュニケーションの研修セッションは必須だと考えています。
現在、JICAが企画する日本の小学生向けの出前講座に参加し、JISRプログラムの修了生や日本在住のシリア人で構成されるJapan Bridge(※)の一員として、シリアのことを伝える活動に加わるなど、シリア人として、外国人として、異文化交流の一端を担っています。日本の外にはとても大きく、美しい世界があるということを教えているのです。これが、イラクやシリア、アフリカがあるということ、肌の色や宗教が異なる人がいるということを知り、考え始めるきっかけになってほしいと思っています。
※ 2023年2月6日に発生したトルコ・シリア地震をきっかけに、日本での経験を活かして、シリアの地震被災者に対する持続可能な解決策を提供するために組織された日本在住シリア人の有志団体
―――このメディアの読者には大学生など若い人たちもいます。社会をより良くするために、若者に向けたアドバイスをお願いします。
まず、海外から日本に来る人たちには「諦めないで」と言いたいです。日本は素晴らしい国ですが、言語の壁など困難も多いです。「山登り」と同じで、山頂までの道のりは険しいですが、頂上に着いてからの下り道はずっと楽になります。だから日本が好きな気持ちを諦めずに、日本で暮らしながら自分に何ができるのか、自分なりの意味や価値を見出せる道を探してください。そうすれば必ず成功します。
日本の若い世代の人たちは、利益だけを考えたり、大企業への就職や給料の高さを追い求めるだけではなく、日本の外にも目を向けて「自分に何ができるのか」を見つけ、その道を進んでほしいです。それから、できるだけ海外の人たちと交流してみてください。日本の若い世代が異国の文化と交流し、それらを理解することは、将来のキャリアにとっても重要なことだと思います。
取材後記
同じ言葉や文化を共有していたとしても、異なる立場の人たちが一体となって物事に取り組むのは、決して容易なことではありません。それが、異なる言語、文化の橋渡しをしながら、このような大きなプロジェクトを遂行させなければならないとなると、Mohannadさんが感じていたプレッシャーや責任の重さは計り知れず、お話を聞きながら胃が痛くなりそうでした。
それでも、プロジェクトについて語るMohannadさんからは、自分の仕事に対する充実感と誇り、そして喜びが強く伝わってきて、学習プログラムに参加する子どもたちの様子を話す時の嬉しそうな表情がとても印象的でした
私たちの未来にとって必要不可欠な教育。日本で暮らすほとんどの人たちが当たり前に得ている教育の機会が、当たり前のものではないということを改めて認識し、日本の外の世界にも目を向け、自分にできることを考える人が増えてほしいと思いました
(ブレーンセンター NA)
2005年設立。事業者や教育機関向けのモバイルラーニングプラットフォーム「Goocus」や、プログラミング教育用ロボット「Ozobot」など、多様な教育ソリューションを開発し提供。国内外でプログラミング教育の普及に力を入れており、アジア、中東、アフリカなどで現地の教育支援を展開。グローバルな視点で教育の質向上を目指している。