東北復興支援

ヤフー

チームをつくり、地域の発展という単純な解のないテーマに挑む

2011年3月11日に発生した東日本大震災は、東北一円から北関東にかけて多大な被害をもたらしました。日本のインターネットビジネスの中心的存在であるヤフー株式会社は、震災発生の直後からEコマースを活用した支援サービスを提供。2012年4月には宮城県石巻市に「復興支援室」を開設し、早期の復興と地域活性化に貢献すべく、新たなビジネスの創出に取り組んできました。復興支援室の立ち上げ当時からこの取り組みを主導してきた長谷川琢也さんに、10年間を振り返りながら今の思いや今後の目標をお聞きしました。

Business Person

ヤフー株式会社 SR推進統括本部 CSR推進室 東北共創

長谷川 琢也

2003年にキャリア採用で入社。前職はITエンジニア。「IT・インターネットの力で日本を地方から元気にする」という野望を持ち、自身がインターネットの世界を知るきっかけを提供してくれたヤフーに転職。「復興支援室」の開設後は、その創設メンバーとして東北に赴き、地域産業の活性化に取り組んできた。2021年4月からは、企業版ふるさと納税を活用したカーボンニュートラルの促進プロジェクトを担当するとともに、Webメディア「Yahoo! JAPAN SDGs」の編集長も務めている。

 

Contents

 

震災当日の夜には、何かできないか考え始めた

――2011311日はどちらにいらっしゃったのですか。

 忘れもしないあの日、実は新潟にいました。3月11日は私の誕生日で、自分の誕生日と家族の誕生日は毎年仕事を休むことにしているんです。当時は販促の責任者をしていたのですが、ちょうど13日から新しいCMをリリースする予定にしており、準備を終えたタイミングでもありましたので、有休をもらって家族と雪山に行っていました。結局、そのCMは震災の影響で一部流せなくなってしまったのですが……。

 朝「誕生日おめでとう」とたくさんメッセージが来て、それを見ながら移動しました。新潟も揺れたはずなのですが、雪山にいたこともあって地震が起きたことはわからなかったですね。宿に帰ってテレビをつけたら、建物が津波に巻き込まれたり燃えたりしていて、慌てて関東にいた親や友人に連絡を取ろうとしたけれどつながらない。SNSがちょうど出だした頃でしたから、そういったものを見て、たいへんなことになっていると青くなりました。

――ヤフーは震災発生の直後から支援活動やサービスを展開されていましたが、長谷川さんも関わられていたのですか。

 そうですね。3月11日の夜にはもう、何かできないか考えていました。

 震災直後のSNSには、被害を報告するだけではないメッセージもたくさん上がっていました。日本のいいところ――子どもにお菓子をくれた人の話とか、帰れなくなった人たちにトイレを貸してあげたお家の話とかです。自分もインターネットでそういうことを伝えたかったはずだ、やりたかったはずだ。それが原点じゃないかと思い出して、じゃあ、今何ができるんだろうと考えていました。

 原点と言いましたが、そもそもヤフーに入社したのは「IT・インターネットの力で、日本を端っこから元気にしたい」という思いがあったんです。日本の地方は、もう20年くらい前から元気がなくなってきていましたから。それに、当時の直属の上司も震災直後から「自分たちが得意なこと、ヤフーのサービスでしかできないことをやろう。そうすればほかの動きと重複することもない。必ず自分たちの力を発揮できるはずだ」と号令をかけていました。

 それでまずは、担当範囲の「Yahoo!オークション(現ヤフオク!)」と「Yahoo!ショッピング」で何かできないか検討を始めました。寄付についての問い合わせが急増していたので、チャリティーオークションの仕組みを用意したり、部署のメンバーと「支援ギフト便(※1」をつくったりしましたね。

 これらの活動に3カ月くらいは専念していたのですが、6月頃になって私も初めてボランティアに行きました。いろいろな人と話をするうちに、現地の人の声をもっと拾い上げる必要があると思いました。そこでNPOや現地の人たちにも話を聞いて、12月に立ち上げたのが「復興デパートメント(※2)」です。企画から立ち上げまで、社内外のいろんな人に手伝ってもらって、ここで社外との共創や部署横断的に動くことの大切さを学びました。 

※1 「Yahoo!ショッピング」の出店者が被災地で必要とされる商品を原価で販売し、賛同したユーザーが対象商品を購入すると、各公益社団法人などを通じて現地に届けられるプロジェクト。2011年5月31日終了。

※2 被災地の生産者をヤフーがサポートし、専用サイト「復興デパートメント」で商品を全国に販売できるようにするプロジェクト。その後は対象を東北全域、全国へと広げ、2018年に人・環境・社会に配慮した商品のみを取り扱う「エールマーケット」にリニューアルされた。

ヤフー本社に置かれた石巻工房(石巻市)の家具

――復興支援室に配属された経緯を教えてください。

 震災から1年くらい経った頃、社長が交代することになって、「ヤフーらしいことをしよう」と言っていた上司が社長になったんです。「第2の創業」というスローガンのもと、ミッション、ビジョン、ステートメントを策定して、社内の体制も大きく変わりました。そのなかで「課題解決エンジン」、すなわち“世の中の課題を解決する人、サービス、会社であれ”という方針が打ち出されました。

 日本にはいろいろ課題があるけれど、今、目の前にあるのは被災から1年しか経っていない東北。“課題先進国のなかの、さらに課題先進地になってしまったのだから、東北のことをやる部署を1つつくるぞ! ということになりました。それで、ずっと東北の復興に携わっていた私と先輩社員1名が復興支援室の創設メンバーになりました。

――復興支援室の拠点は、なぜ石巻市に置かれたのですか。

 やることをゼロから考えろと言われ、あちらこちらへ出張したり、いろいろな人に話を聞きに行ったりして、何をすべきかプランを検討するところから始めたのですが、そうこうしているうちに「もう現地に拠点をつくったほうがいいな」と思ったんです。わからないことがあまりに多かったですからね。

 数値で見ると、宮城県石巻市が基礎自治体(市町村)のなかで一番被害が大きかったんです。死者数とか、がれきのトン数です。それでいてもともとの人口も多い。街に人が全くいないような状況だと、IT・インターネット企業はお役に立てませんから、石巻がいいのではないかとなりました。それも東北から新しい何か、ビジネスなどを生むのであれば、コワーキングスペースがいいと考えて社内で提案したら承認が下りました。

――ご自身も石巻市に移住なさったとか。

 正直なところ最初は迷いました。2人いる子どもたちはまだ小さかったので、離れて暮らすのはどうか、縁もゆかりもないところに家族全員連れて行くのもなと……。そんな時、「迷ったらワイルドな方を選べ」と社長が言っていたことを思い出して、息子も「お父さん、一人で行くのはかわいそうだから僕も行くよ!」と言ってくれたりして(笑)。最終的には「行ったほうが、ワイルドだ!」と決断したんです。

  もちろん、初めはスムーズにとはいかなかったです。被害の多い地域で家だってあまりない。でも、地元のキーパーソンみたいな人に「こういうことをやりたいんです! 東北で! なんなら事務所も置こうと思っているんです!」と思いを伝えて相談したら、「困ったことがあったら全部俺に言ってくれ」と。その人のおかげもあって移住が実現しました。振り返ると本当に熱い1年でしたね。

設立当時の復興支援室(石巻市)

石巻の拠点で使っていたデスクは、現在ヤフー本社に設置されている。「このデスクを見ると本当に感慨深いですね」(長谷川氏)

チームの全員が成果を得るために

――活動を進めるうえで重視したポイントなどはありますか。

 自分で言うのもなんですが、私はヤフーという会社が好きなんです。かわいがってくれた先輩たちをはじめ、多くの人のお世話になりましたし、その人たちに恩も感じています。だからヤフーの社員として行ったからには、ヤフーにメリットがないことはやるべきじゃないと思っていました。ちゃんとヤフーらしい、ヤフーにしかできない、いつかヤフーに何かが返ってくることをやらなきゃな、と。

 そのことにこだわって最初に取り組んだのが「復興デパートメント」でした。売上を大きくして、その結果として東北でECに参加する生産者が増え、いい商品を発掘できたらと思って。「地域の人たちがどうやったらインターネットでビジネスをできるようになるだろう」と考えるきっかけにもなりましたが、突き詰めるうちにヤフーだけでは限界があることも実感しました。

 復興支援室が立ち上がってからは、プロジェクトごとにさまざまな人とチームを組むことになりました。例えば、地元でボランティアをしていた若い人の起業を手伝う。また、コーディネーターを育成したり、商品開発にもプロを巻き込んで、見せ方を考えてもらったりもしました。新しい活動を始める時も、現地でできた知り合いが起点になることが多かったですね。その人たちに誰かを紹介してもらって、話して仲良くなって。すると向こうから「こういうことやりたいんだよね」と言ってくれることがある。そこですかさず、「それならこんなことができるかもしれませんね!」と提案する。いろいろな人を巻き込んでチームができていきます。

 一方でチームが大きくなると多様な要望や意見が出てきますから、活動のヤフーらしさが薄れていくこともあります。なので、「ちゃんとヤフーのプロジェクトになるように」ということはずっと意識していました。

石巻での活動一覧

  • 2012年4月 
    「復興支援室」設置
  • 2012年7月 
    「ヤフー石巻復興ベース」開所
    新しい水産業を創造する「三陸フィッシャーマンズプロジェクト」立ち上げ
  • 2013年11月 
    サイクリングイベント「ツール・ド・東北2013 in 宮城・三陸」(現「ツール・ド・東北」)スタート(※3
  • 2014年7月 
    若手漁師集団「フィッシャーマン・ジャパン」設立
  • 2015年7月 
    新たな漁師を育てる目的で「TRITON PROJECT」スタート
  • 2016年7月 
    復興支援の「復興デパートメント」から、「欲しい」が見つかる「東北エールマーケット」にリニューアル
  • 2018年10月 
    海の課題を伝えるメディア「Gyoppy !(ギョッピー!)」リリース
    「東北エールマーケット」からエシカル消費を促す「エールマーケット」へリニューアル

※3 以降、2019年まで毎年開催(2020年、2021年は新型コロナウイルスの影響でオンライン開催)。2022年は9月に開催予定。

――それは具体的にはどういうことですか。

 例えば自分に対して「ありがとう」と言われるのは個人的には嬉しいけれど、それだけだと「ヤフーは関係ないじゃん!」となってしまいます。ですから、“ヤフーのプロジェクトとして結果を出す”ことに注力しました。「復興デパートメント」でいえば、売上高や取扱総額、流通総額などを増やすにはどうしたらいいかとか、お金がしっかり東北の人たちに落ちるとか、話題になるかとか、そういったことです。

 1人ではできないことをチームでやって、それがうまくハマって、しかも皆がそれぞれの得意技を活かせた時はやはり達成感がありますね。巻き込んだら巻き込んだなりにその人たちにもお返しをしなきゃと考えているので、事業やビジネスを通じて「社会課題の解決に貢献できたよね?」と思えることがすごく大事。社会課題解決と一口に言っても、定性的、定量的、感情的など尺度はいろいろありますが、チームに参加するそれぞれが、めざす目標をちゃんと達成できたと思ってくれることが大きなやりがいになりました。

それぞれの物差しをすり合わせ、間で小さく旗を振る

――改めてここまでの活動をご自身ではどのように評価されていますか。

 これにはいくつかの評価軸があると思っています。ちゃんと持続可能性のあるものになったかというのが1つで、ほかにも関わった人の手ごたえとかですね。

 例えば「復興デパートメント」については、途中でオンラインショップの出店料や手数料をゼロにするという方針転換もあって黒字にはできませんでした。それでも、一定の売上高、取扱総額になって、流通総額も大きくなり、東京の社員たちが「エールマーケット」というプロジェクトに進化させてくれました。それから復興イベントの「ツール・ド・東北」は、今まさに東北の皆さんに運営などをお渡ししようとしているところです。漁業従事者を支援する「フィッシャーマン・ジャパン」プロジェクトは、あまりヤフーらしいことができなかった印象があって、その意味で悔いが残りますが、水産業界では少しは有名になったかなと。全国にも広がり始めているそうなので、そこは成果ですよね。

 一方で、ヤフーとしての数字を見ると、東北から生まれたサービスを例えば「ヤフオク!」のように全国区に成長させることはできなかった。それでも、私個人としては、東北と出会って、サステナビリティも意識してこれらの活動が生まれ、貴重な経験をさせてもらったと思っています。10年では返しきれなかったぶんを、これからも別の形で返していきたいです。

ツール・ド・東北(2013年)

フィッシャーマン・ジャパンのメンバーと

――10年を振り返って、難しさを感じることはありましたか。

 いろいろありますが、一つは“物差しの違い”を理解しながら進めなければいけないということです。東京の会社、IT・インターネットの会社と、地方の物差しの違いです。

 具体的には、ECとかでヒット商品ができて、「どんどん売りましょう!」とこちらが持ちかけても、「無理だ、そんなにつくれない」「そんな一瞬で消費しつくされるようなことはしたくない」と言われることがあります。本当の社会課題解決とか、サステナビリティって何? という考えからいえば、確かに一理あるんです。だけど私たちの感覚では、都市部の顧客を相手にそんなに悠長なことを言っていてビジネスになるのかと。この間をとるのは難しい。

 結局人それぞれに正解が違うことなので、むしろどの正解をとったら後でどういう影響が出るのかとか、点で見るより線や面で考えないといけない部分なんです。ずっと続く活動にしないといけないのも確かだから個人的にも勉強になりました。広く俯瞰する目と、目の前の課題を解決する目、その両方を持たないとダメなんだと肝に銘じています。

――最後に、今後の展望と長谷川さんの夢や目標についてお聞かせください。

 石巻の拠点は2021年にいったん閉じました。これからもお付き合いはするんですけど、10年の区切りでもありましたし、現地での活動の引き継ぎも進んでいましたので。「復興デパートメント」などの取り組みを通じて、地域の産品を売るのが上手になった若者たちがいて、しかも起業して、小さな会社の社長になった人もいます。社内的にも「エールマーケット」として継続しています。「フィッシャーマン・ジャパン」も引き続きやっていますので、私は今も石巻に住んで対応しています。

 2021年4月からは新しい仕事として、「Yahoo! JAPAN 地域カーボンニュートラル促進プロジェクト」を担当しています。これは今ヤフーが進めているプロジェクトの一つで、地方公共団体からカーボンニュートラルへの取り組みを公募し、企業版ふるさと納税の仕組みを使って、ヤフーから寄付をするというものです。2021年の初めに開始したばかりですが、すでに大きな反響があります。これと兼務で、「Yahoo! JAPAN SDGs」というメディアの編集長もやっています。

Yahoo! JAPAN地域カーボンニュートラル促進プロジェクト

 
 今の仕事は、自分の成功も失敗も含めて、この10年の経験を活かすのにすごくいい仕事だと思っています。自治体の人たち、自治体とがんばっている人たち、そういう人たちとチームをつくりながらカーボンニュートラルという課題にぶち当たっていくというのは、本当に自分が石巻でやってきたことの延長にあることです。「Yahoo! JAPAN SDGs」も、世の中の課題や、NPOの取り組み、社会起業家の皆さんの取り組みを拾い上げて社会に広く発信していくものでこれまでの経験に通じるものがあります。

 どれも答えのない難しいテーマで、「ある部分では、こっちに進んだほうがいいかもね? でも、違う見方をしたら進む方向は変わるかもしれない」とすぐに答えの見つかるものではありません。だからこそ自分の経験が活かせると思っています。挟まれるのは慣れていますから(笑)。

 多くの人に挟まれながら、それぞれの話を聞いて、「とりあえず今は着地点ここですかね」「この先はこっちですかね」というふうに“小さく旗を振る係”として、今後もヤフーでがんばっていけたらと思っています。

 

ヤフー株式会社

Eコマース、Web広告、会員サービスなどの事業を幅広く展開するZホールディングスグループの中核企業の1社。親会社であるZホールディングスは、「UPDATE THE WORLD 情報技術のチカラで、すべての人に無限の可能性を。」をミッションに掲げ、本業であるIT・インターネットの強みを活かしてサステナビリティの実現に取り組む。近年ではSDGsの達成に向けた活動に注力しており、そのなかでヤフー株式会社は、SDGsの認知・普及につながる投資や、自社メディア「Yahoo! JAPAN SDGs」を通じた情報発信も行っている。

https://about.yahoo.co.jp/

 

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