キーワード:SAF/持続可能な航空燃料/水素
近年、持続可能な航空燃料として注目されているSAF(Sustainable Aviation Fuel)。総合重工業グループとして、資源・エネルギー・環境、社会基盤、産業システム・汎用機械、航空・宇宙・防衛の4つの分野にて事業展開するIHIは、「2050年までにバリューチェーン全体でカーボンニュートラルを実現する」ことを表明し、SAFの製造・供給に向けたサプライチェーン構築を進めています。IHIはすでに、その中の重要な取り組みの一つとして、SAFの一種である微細藻類由来のジェット燃料を開発しており、2021年にはSAFの国際規格(ASTMD7566 Annex7)の認証取得、国内定期便への供給、デモフライトを成功させています。そんなIHIが、今回新たにCO2と水素からSAFの原料となる液体炭化水素を合成する技術開発に着手。商用化に向けて奮闘している黄 健(ファン・ジェン)さんに、開発の背景と今後の方向性を伺いました。
Person
株式会社IHI 技術開発本部 技術企画部 SAF企画グループ
黄 健
中国出身。2009年にIHIに入社。入社後5年ほどは、石炭火力発電所から排出されるCO2の回収プロセスにおける技術開発等に従事。その後、技術開発以外の分野にも携わりたいという想いから、シンガポールのグループ会社に異動し、顧客と直接対話しながらIHIの技術を使ったソリューション提案を3年半ほど担当。その経験を活かし、日本帰任後はオープンイノベーションの取り組みを行う、 連携ラボグループに所属。現在は、連携ラボグループを兼務しながら、CO2を活用したSAFの合成技術の商用化を目指し活動中。
新技術開発の背景:
CO2を有価物に転化する技術をSAFに応用
——はじめに、SAFを取り巻く現状を教えてください。
近年、カーボンニュートラルの達成に向けてSAFが注目されています。SAFは、廃油などから作ったバイオ燃料で、従来の原油からつくる燃料と比べてCO2の排出量を減らせるといわれています。一般的には廃食油を再利用してSAFにすることが多いですが、廃食油以外にも、アルコールから変換する手法や、植物などのバイオマス由来原料などもあります。しかし、廃食油の回収量はそこまで多くなく、また、バイオマス由来の原料も航空業界の需要以上に集められないという課題がありました。
そこで、IHIが着手したのはCO2と水素を反応させてSAFを作る技術の開発です。CO2はいまだに多く排出されていますし、水素はカーボンニュートラルを実現するために不可欠な原料です。現状CO2を使ったSAFというのはあまり主流ではありませんが、SAFのひとつの選択肢として今後拡大していく可能性があると思っています。
——なぜ、CO2を活用したSAFの開発に着手しようと考えたのでしょうか。
もともとIHIは、石炭火力発電所の排ガスに含まれるCO2を回収する技術を開発していました。一方で、回収したCO2をどう取り扱っていくかという課題もありました。取り扱い方法には二つの方向性があります。一つは、回収したCO2を地中に埋める方法です。もう一つが、CO2を他の有価物に転化する方法です。
IHIは、特にCO2を活用して他の有価物に転化する方法においてさまざまな研究成果を残してきました。2012年からシンガポール科学技術研究庁傘下の研究機関である化学・エネルギー・環境サステナビリティ研究所(ISCE²:Institute of Sustainability for Chemicals, Energy and Environment)と一緒に、CO2からメタンを製造するメタネーション技術の開発を行ってきました。2019年には、このメタネーション技術のデモ装置が完成しています。また、2021年からは、従来、原油由来のナフサを熱分解することで製造されていたエチレン、プロピレンなどの低級オレフィンを、排ガスや大気から回収したCO2と水素から合成する技術の開発も行っています。
こうしたCO2の活用を軸とした研究を進め、技術の幅広い可能性を模索している中で、社会的ニーズが高まっているSAFにも応用できるのではないかと考え、CO2を活用したSAFに着目しました。
これまでの経歴:
顧客との対話の重要性とマーケット視点を養う
——黄さんがIHIに入社した経緯とこれまでの経歴を教えてください。
私は、学生時代から環境問題やエネルギー関連に興味がありました。中国の大学では、石炭火力を専門に研究していました。その後、大学の紹介を経て日本に留学することになり、日本の大学で博士課程を取得しました。
卒業後は、技術力も優れており規模の大きい仕事に関われることと、IHIの目指す地球環境への負荷を低減する取り組みに携わりたいという想いで入社を決めました。入社後5年ほどは、研究開発部門である技術開発本部に所属し、石炭火力発電所から排出されるCO2の回収プロセスにおける技術開発を担当しました。そのときに感じたことは、技術起点の研究が多くお客様のニーズをしっかり捉えられていないのではないか、という危機感です。一般的な研究計画だと3年ほどで技術が完成するのですが、実際にお客様に提案してみると「時代遅れ」と言われたこともあったのです。
そこで、「もっとお客様と直接向き合いたい」「技術開発本部以外も見てみたい」と上司に掛け合い、シンガポールのIHI ASIA PACIFIC PTE.LTDに異動することになりました。
シンガポールでは、お客様と直接対話をしながら技術の提案をしていました。しかし、やはり基本が技術起点の開発なので、お客様のニーズにすべて応えられるものではありませんでした。ひとつの技術を売り込むのではなく、お客様と対話しニーズを吸い上げながら、IHIの多様な技術を組み合わせてお客様の本質的な課題を解決するソリューションを提案しなくてはいけない、と強く実感しました。シンガポールでの経験はとても勉強になったと思っています。
——シンガポールでの経験が現在のお仕事にも活かされているのですね。
2018年に日本に帰任し、日本ではシンガポールでの経験を評価され、連携ラボグループに配属されました。連携ラボグループでは、お客様に IHI の製品やサービス、技術を見てもらいながら、課題や要望について分析し、ソリューションの試作・検証を行っていました。
連携ラボグループは、英語名称を「Collaboration and Marketing Group」としています。つまり、マーケティング視点で技術開発を見る部署です。お客様のニーズに応えられる提案をするには必要な視点だと感じていたので、この部署への異動は私の目標でもありました。2021年に、IHIのCO2回収システム「CCS(Carbon Dioxide Capture and Storage)」のマーケット分析を担当しました。連携ラボグループでの経験により、マーケットドリブンの視点が培われたと思います。
自身の役割:
マーケットドリブンの技術開発を全社に広める
——黄さんが所属するSAF企画グループの位置づけはどのようなものでしょうか。
技術開発本部の下に位置している部署で、技術開発本部が進めているCO2と水素を反応させて直接SAFを作る技術の商用化に向けたロードマップ策定や、コスト面などの検証を行っています。
SAF企画グループにおける私の役割は、マーケット分析を踏まえて、IHIとしてのSAF戦略を具現化させていき、ロードマップの策定を支援することです。実は、この技術の開発が始まった当初、この技術はほかの技術と比べて優位性があるのか、IHIのリソースだけで開発を進められるのか、できない場合は他社と組む必要もあるのかなど、技術を取り巻くマーケット分析が不十分なまま進めている事例がありました。2022年からは、私のマーケティング視点を活かしてしっかりと分析を行い、開発プロセスを円滑に進めています。
SAF企画グループはさまざまな部署と連携しています。事業化という面では、2023年4月に新設されIHIグループの新規事業開発を推進する事業開発統括本部と連携しながら進めています。長期的視点でSAF技術の将来性を見極め、スタートアップ企業との共創なども検討しています。
——黄さんがSAF企画グループに配属された経緯を教えてください。
最初は「なぜ自分がSAF企画グループに?」と思いました。ですが、マーケティング視点で技術開発を導くという部分で、これまでの経験が生かせると評価され、配属されたのではないかと思っています。
というのも、IHIの研究開発はまだまだ技術起点の発想が多いと感じていて、マーケティング視点が十分ではなく、そこに課題意識を持っています。技術開発を担当する研究員は、「この技術を、どうしたら社会実装できるのか?」という、開発成果を実社会での活用につなげるまでのストーリーの整理はあまり得意ではないと思います。
将来の商用化に向けて、現在自社がどういう立ち位置にいるのか。どのくらいの市場規模があるのか。そういったマーケティング視点で技術開発に取り組めれば、市場に対してより最適なソリューション提案ができるようになると思うのです。そういった視点の重要性に気づいてもらえるように、私のこれまでの経験を生かしていきたいと思っています。
黄さんの夢:
国と国を繋ぎ、カーボンニュートラルを実現したい
——技術開発における課題はありますか。
技術面の課題はたくさんあります。CO2からSAFに変換する技術の開発に、他社も取り組み始めています。他社との差別化も重要ですし、IHIとしての優位性を高めていかなければいけません。
また、市場のトレンド変化に迅速に対応できるか、という時間的問題も意識しています。連携ラボグループに所属していたときから痛感していましたが、自社のリソースだけで進めるにはやはり限界があります。パートナー企業とどう連携し開発をスピーディーに進めていくか、という点は引き続き検討が必要です。
今後は、テストプラントの設置なども検討しています。テストプラントを作るということは、SAF生成技術開発のプロセスをオープンにするということです。それによって、お客様との接点を創出することに加え、一緒にビジネス化を進めてくれるパートナー探しを加速させていきたいと考えています。
——黄さん自身の実現したい夢はありますか。
カーボンニュートラルの実現に向けて、SAFは社会から求められているニーズです。お客様の課題を解決するという点でも、社会的意義は大きい事業だと思っています。まずは、目標として掲げている2030年までのSAF合成技術の商用化を目指します。
商用化に向けたIHIの戦略としては、二つの方向性があります。一つは、マーケットドリブンの技術開発。もう一つは、オープンイノベーションです。
IHIだけの力では、カーボンニュートラルは実現できません。もはや企業間の連携だけではなく、国と国が連携して一緒に取り組まないと実現できないものになっています。私は、シンガポールや連携ラボグループなどでの経験から、さまざまなパートナーと協力し合うことの重要性と、社会的インパクトの大きさを実感しています。
中国出身ということもあり、国と国の連携には強い想い入れがあります。壮大な夢かもしれませんが、日本と中国だけでなく、ほかの国々とを繋ぐ架け橋のような存在になれたらと思っています。世界中と協力しながらカーボンニュートラルの実現に貢献し、次世代に豊かな地球環境を残していきたいです。
編集後記
黄さんの、お客様や社会の課題にとことん向き合う姿勢がとても印象に残った取材でした。黄さんは、お客様と直接対話してニーズを見つけたいという想いが一貫していました。そのために、自ら希望した部署で経験を積み、いろいろな視点からお客様や社会の本質的な課題を見抜く力を培ってこられたのだと思います。特に、マーケティング視点に立った技術開発が不十分だという黄さんの課題意識は、新しいSAF技術の実装だけでなく、IHIのさらなる成長においても重要な視点なのだなということを感じました。
そして、カーボンニュートラル実現という大きな目標に向けて、国と国の協力が必要不可欠だと熱く語っていた黄さん。今回の取材を通じて、黄さんのメッセージが多くの人に伝わり、パートナーの輪が広がっていってほしいと思いました。
(ブレーンセンター HS)
1853年創設の日本初の近代的造船所「石川島造船所」が起源。造船で培った技術をもとに陸上機械、橋梁、プラント、航空エンジンなどに事業を拡大し、2007年にグローバル展開を強化するため社名を「IHI」に変更。「技術をもって社会の発展に貢献する」「人材こそが最大かつ唯一の財産である」という経営理念のもと、ものづくり技術を中核とするエンジニアリング力で、世界的なエネルギー需要の増加、都市化と産業化、移動・輸送の効率化など、あらゆる社会課題の解決に貢献している。